朝、目覚めた瞬間から胃の奥が重くなる。
「またか…」と小さくつぶやきながら、布団の中でお腹を押さえる日が、私にはしばしばあります。重たさがみぞおちにじんわり広がり、動こうとすると吐き気まで伴うこともあります。朝ごはんの匂いを嗅ぐだけで胸がむかつくこともあり、食欲どころか、ベッドから起き上がるのさえ億劫になる日もあります。
この胃の不快感は、決して偶然ではありません。ストレスが重なると、胃は正直に「もう限界だ」と知らせてくれるのです。仕事や人間関係、日常の小さなプレッシャーを抱えると、胃は体の中で私に警告を発してくれます。痛みや違和感は、体の声なのです。
会議室での緊張と胃の痛み
思い出すのは、重要なプレゼンの日のことです。
朝から胃がずきずきと痛み、会社に着く頃にはもう限界でした。会議室に入ると、周囲の視線が一層プレッシャーになり、手のひらは冷たく汗ばんでいました。胸のあたりが締め付けられるようで、座っているだけで呼吸も浅くなる。胃の痛みは増す一方です。
会議が始まると、私は顔だけ笑顔を作り、手だけ資料を持ち、心は痛みでいっぱいのまま説明を続けました。言葉は出ていても、頭の中は胃の不快感と戦うことでいっぱいです。終わった瞬間、椅子にぐったりと座り込み、深く息をつく。胃の痛みと緊張が、体全体を覆っているのがわかります。
その日、同僚や上司は何も言わず、私は笑顔で報告を終えました。外から見れば普通にこなせたように見えたかもしれませんが、内側では胃と心が戦っていました。
家に帰ってからの静かな孤独
家に帰れば安心できるはずですが、胃の痛みは消えません。
夜になると、横になっても痛みで眠れないことがあります。ベッドの中で時計を見つめ、「明日もまた同じ痛みが来るのか」と考えてしまう。胃の痛みは、私にとって孤独な戦いです。家族は「大丈夫?」と優しく声をかけてくれますが、痛みは目に見えません。体の不調は伝えるのが難しく、うずくまっている自分をただ見守るしかない家族を見ると、余計に申し訳ない気持ちになります。
こんなとき、胃痛はただの身体的な問題ではなく、心の重さや日常のストレスを映す鏡のように感じます。胃は、私に「無理していないか」「心と体が一致しているか」と問いかけてくれているのです。
胃の痛みは体のサイン
あるとき、私は思いました。
「ストレスで胃が痛むのは、悪いことじゃない」と。
胃が痛むのは、体が正直に「ここまで無理しているよ」と教えてくれているサインです。自分の思考や行動、生活習慣に合っていないときほど痛みが強く出ます。社会に出ていると、我慢しなければならないことも多いです。しかし、痛みが慢性的に続くなら、体が「何かを変えるタイミングだ」と知らせてくれていると考えることができます。
胃痛を経験するたび、私は立ち止まり、自分の体や心の状態を整理する時間をもらっているのだと思うようになりました。胃の痛みは、ただの不調ではなく、自分の生き方を振り返るチャンスなのです。
自分の思考や生き方と向き合う
以前は、胃が痛むと「弱い自分」「情けない」と思いがちでした。周りは普通に仕事をこなし、日常を楽しんでいるのに、自分だけ痛みに耐えているのが情けなく感じたのです。
でも、胃の痛みを「体の正直な反応」と受け止めるようになってから考え方が変わりました。痛みは無理をしている証拠であり、自分の生き方や考え方を見直すための大事なサイン。嫌なことを無理して続けると痛みが強くなり、自分に合った行動をしていると痛みは穏やかになります。
胃痛を責めるのではなく、「ありがとう」と思うようになったことで、少しずつ心が楽になりました。胃の痛みは、体や心を整えるための時間を与えてくれるものだと感じます。
胃痛をきっかけに考える生き方
胃痛はつらいです。耐えがたい日もあります。
でも、痛みは単なる苦しみではなく、体が私に送るメッセージです。仕事中でも、夜寝る前でも、痛みを無理に押さえつけず、自分の心と体の状態を見つめ直すことが大切です。
胃痛は、体が正直に反応している証拠。悪いことではありません。
むしろ、それを理解し、自分に合った生き方や考え方を少しずつ調整していくことが、体にも心にも優しい方法なのです。
胃痛がある日は、体や心に合わない生活や考え方を見直すチャンス。私は、痛みを「敵」ではなく「味方」として受け止め、体や思考を整理する時間にしています。
自分を大切にするために
ストレスで胃が痛むときは、自分に優しくなるきっかけでもあります。痛みを無視せず、休むこと、考えを整理すること、体の声に耳を傾けること。それが、無理を重ねない生き方につながります。
胃は、私たちに「無理をしすぎていない?」と問いかける大切な存在です。ストレスで胃が痛むことを責めず、体の声として受け止める。それだけで、心も少しずつ楽になっていきます。


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